シモダヒロコ
足つぼ&整体マッサージ師
サンダースペリー化粧品販売店
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サロン住所
群馬県前橋市天川原町2-248-14
東京生まれ
東京都、北海道、奈良県で育ち、15歳から群馬県人になる。
入学した学校を卒業できたのは、高校(県立前橋女子高校)が初めて。
地元の金融機関に3年勤務したのち、結婚退職。
すぐに妊娠しないことに疑問を抱き、産婦人科で検査を受ける。
子宮が未熟で小さすぎること、卵管が詰まっていることが判明し、自然妊娠をあきらめるよう医師に告げられる。
1年間不妊治療を受けたものの、自殺願望が募るようになり、治療を断念。
漢方薬局で体質改善をはかる。毎日煎じて飲むこと1年半。
持病のメニエール症が徐々に改善(この時から東洋医学に傾倒する)。
すっかり子どもを諦めるようになった頃、義母の勧めで神社で子授けの祈祷を受ける。
その時に、神風が舞ったことは今でも忘れられない。
翌月、懐妊。
「自分の身体の声、要求を聴くこと」により、妊娠期間は順調、出産は超安産。
母乳が出たことにより「自分は哺乳類の動物である」と意識が切替わり、よりおおらかに。
完全母乳、トラブル一切なし、16キロ増えた体重は半年で元に戻る。
その後、2歳違いの次男が誕生。
長男2歳、次男1歳の時に、相次いで義父母が倒れる。
育児と介護に奔走する、地獄の日々は3年続いた。
義父が亡くなり、義母は施設へ。
やっと自分を生きられるようになる。
35歳頃、50歳を過ぎてもできる仕事をしたいと思い、某フランチャイズ塾を開業。
3歳から中学生までを指導。
40歳から始めたフラダンスから、大地のエネルギーを足から吸い上げていることに気づく。
そこから身体とエネルギーに興味がわく。
長男の不登校がきっかけで、転職を考える。
整体師になろうと決意、台湾式の足裏反射区療法と伝統整体を学ぶ。
毎日自分の足をマッサージするうちに、持病のメニエール症を完治。
整体師として勤務しながら塾を続け、のべ1000人の施術をしたのち、独立。
7年間続いた塾を廃業、自宅で足つぼと整体のサロンを開く。
1年半後に自宅を出て、隠れ家サロンをもつ。
フラダンスは踊りだけでなく、神々や歴史、アロハ精神を学び、生花のレイメイキングを習得。
ハワイでのJALフラホウラウナアロハに2回出場。現在もフラダンスを継続して学んでいる。
サロンを開くと同時にお客様のケガレが自分に残ってしまうことに困惑し、お祓いを学ぶ。
また、様々な苦悩により、密教修行に入る。
6年間の修行ののち、還俗。
ひとりひとりが幸せだったら、地球が幸せになる。
世界の一部分である自分自身と、最小単位のパートナーシップや家族が幸せでありますように。
家族が仲良く健康であるよう、「家族のセラピスト」を養成するオンラインスクールを配信。